表現することが、自分の“やること”になっていた──平松恭輔の原点

紡いできた“描く日常”

「子どもの頃、家にはトレーシングペーパーがあって、図鑑を写したりとか、自分で新しい生き物を創ったりとかしていて、絵を描くのが当たり前というか。祖母も絵を描いていて」

家の中で自然と絵に触れる機会が多く、絵を描くことは生活の一部だったと語る平松恭輔さん。さまざまな習い事をする中で、最後まで続いたのは「描くこと」だけだった。

「お絵かき教室とかも、なんとなくそのまま自然と進んでいったという感覚でした。いろんな習い事もやっていたけど、唯一続いたのは絵だけでした」

その延長線上で、美大へ進学し、今では“表現すること”が仕事となっている。本人も「いつから描いてたんだろう、、気がついたら絵を描いていましたね。」と振り返るように、特別なきっかけがあったというより、絵は日々の延長としてごく自然に自分の中に根付いていた。

アウトドアだった少年が、“内に向かう”ようになるまで

「子どもの頃はどちらかといえば外遊びばかりしているタイプでした。サッカーも小学校卒業まで続けていたし、父に連れられて川辺でバーベキューやウィンドサーフィンも体験しました。昆虫採集や植物採集も大好きで、よく虫かごを片手に走り回っていたのを覚えています。」

「でも中学生くらいから、少しずつ“人と関わること”が疲れるにようになっていきました。何かと人に気を使うことが増えたのだと思います。それよりも、黙々と絵を描いている方が楽でした。自然と、内面と向き合う制作スタイルになっていったのかもしれません。」

予備校では彫刻科、油絵は“部活”だった

高校では美術系の学科に進学したが、当初は「アート」や「表現」への強い関心があったわけではなかったという。

「“アートを学びたい”っていうより、“描いていたい”っていう感じでした。何を描くかとか、どう描くかっていうのはあとからついてくると思ってたので」

あくまで「描き続ける」ことが、自分にとっては最も自然な選択だった。芸術を志すというより、描いていない自分が想像できなかった。

「高校は美術系のデザインコースに通い、授業では陶芸を学びつつ、美術部で油絵を描いていました。当時は、表現の幅を広げたくて、予備校では彫刻科を選びました。当時から油絵だけにこだわらず、いずれ彫刻や立体にも取り組みたいと思っていました。最近も立体作品を制作しています。」

「実際、ちょうど立体作品を作ってみたところでした。昨日完成したばかりで。制作はアトリエで行っています。特定の画材や手法にこだわりすぎず、そのときの感覚に合わせて手法を選びたいと思っています。」

当時の作品は今もアトリエに保管されている。

大学時代と、変化した制作環境

高校卒業後、美術大学に進学した。

「大学のときは、教授やいろんな人と話す機会がありましたし、外に出ていくことも多かったんです。」人との交流や刺激に満ちた大学時代。しかし現在は、自宅とアトリエを往復する日々が続いているという。

「最近はもう、自宅とここ(アトリエ)の行き来だけですね。」

それでも美術館や読書など、自ら刺激を取りにいく意識は大切にしている。

「美術館とかには行ったりしますね。あと、本とか。」

表現する手を止めずにいられるのは、静かな制作環境と、自分自身と向き合う時間があるからなのかもしれない。

「駄目出しの方が嬉しい」──共鳴できる声が力になる

作品づくりにおいて、求めているのは「指摘」だという。

「どんなフィードバックが欲しいかって言われたら、やっぱり“表現の仕方”に関することですね。もっとこうした方が面白いんじゃない?とか、ちょっと表面に出しすぎじゃない?みたいな。そういう指摘があると嬉しいです」

テーマはすでに自分の中にある。だからこそ、伝え方や見せ方に対しての意見に価値を感じる。

「僕は、誰かに褒められるよりは、駄目出しされる方が嬉しいタイプなんです。言われれば言われるほど頑張れます。“悔しい”と思えるから。」

その言葉の背景には、これまで“表現すること”を通して築いてきた強い意志と、自分の制作を信じる芯の強さがにじむ。

「やっぱり、正直に言うと共感できる相手、説得力のある人からの言葉の方が響きますね。同業のアーティストの方とかからだと、“確かに”って腑に落ちることも多いです。」

自分の中にあるテーマをどう表現するか。そこに向き合う中での、率直な指摘が制作の原動力になると感じている。

 

「発信は苦手」だけど、思いを形にしていたい

SNSでの発信について、「ちょっと苦手なんですよね」と率直に語る。もともと流行にはあまり関心がなく、音楽や服装、SNSなど、世間のトレンドを積極的に追うタイプではないという。

「最近では割と頑張って毎日投稿しているんですけど……」

工夫はしているものの、難しさを感じている。ただ、SNSのなかでも気になる作家に出会うことはあり、「あ、この作品の人いいな」くらいの気持ちで見ていることもあるという。

「知らない作家さんと一緒に展示してみたいなとかはありますね。お互いの作品について喋ったりして、価値観とか、今の絵画の表現をどう思っているかを語り合うみたいな、そういうのもしてみたいです」

発信は得意ではないが、作品を通じた“対話”や“共鳴”には関心がある。表現を通して他者と向き合う姿勢が、静かな熱意を支えている。

 

描きながら、記憶の断片が浮かび上がる

作品には煙突や柱、建物、歩く人々といったモチーフがよく登場する。それらは、明確な記憶に基づいているわけではないが、描いているうちに自然と浮かび上がってくるものだという。

「煙突だったりとか、柱だったりとか、建物だったりとか。あと歩いている人とか。どこで見たかって言われたら答えに困りますが、記憶の中というか、昔住んでた街とか、通ってた場所とか。」

作品を通じて、自分のなかに残っている風景や記憶と向き合う。描くという行為が、過去の感覚を呼び起こし、形を与える時間でもあることが、この言葉から伝わってくる。

「今、自宅の玄関に置いてある作品が、はじめて煙突や柱、建物、歩く人々といったモチーフが登場したものでした。」

名古屋駅近くなどでも、よく人をスケッチしていた。人がたくさん集まって、同じ方向に向かって歩いているような状況を描いていくうちに、だんだんと現在の作品の一見すると宗教的な雰囲気に近い作風で表現するようになったという。

「『何かを祀る』『お祝いする』といった、共通の目的に向かって人が動いているような光景。自分自身は無宗教で、そういった文化に深く触れてきたわけではないのですが、それでも“面白いな”と感じたんです。ひとつのものに向かって、みんなの意識がひとつになるような――そういう一致団結した空気感に、心が惹かれました。」

※interview|見えないものを描く──平松恭輔がつくる“静かな熱”はこちらから

絵のある暮らしと、静かに続けていく日々

制作ルーティンと、日々のリズム

いわゆる「マイルール」と呼べるような決まった習慣はあまりない。ただ、制作に入る前には、静かに自分と向き合うような時間を設けている。

「特に決まったことはないですが、描く前に少しだけ、過去の自分の作品を眺める時間があります。『これから描くぞ』という段階で、少しだけ確認するような感じです」

飲み物はカフェオレ。制作中に音楽を聴くことも多く、特にアーティスト・平沢進の楽曲をよく流しているという。平沢氏はアニメの主題歌を手がけることもあるが、民族音楽や電子音楽の要素を含んだ独特のサウンドが魅力で、レコードも集めているそうだ。

「曲を聴くと、やる気が出るんですよね。聴いたあとの“スーッ”とした感じを、自分の作品でも出したいと思っています。静かな曲調が多いんですけど、その余韻みたいなものがすごく好きです」

自身の絵も、見る人にそうした感覚を届けたいと話す。

「平沢進さんの曲を聴いた後みたいな気持ちになってほしいというのはありますね。ちょっと一人で過ごしたい時間。前向きでも後ろ向きでもなく、ただ一人になれる時間みたいな」

「作品を見た人が、“ひとりで旅をしているような感じ”になったらうれしいです。懐かしい場所に来たような。でも、どこか見覚えがあるけど初めてのような風景、みたいな。単純にノスタルジーの一言では表しづらい感覚なんですけど。」

アトリエには、観葉植物がたくさん置かれている。

「家の中、もう植物だらけです。ビカクシダ(コウモリラン)っていう、壁にかけるタイプの植物があるんですけど、それを胞子培養で増やしてます。」

「土も部屋の中にありますし、植木もあります。棚も自作して、そこに並べています」

観葉植物の管理だけでなく、棚をアルミで作るなど、日々の暮らしのなかにも、創造力と好奇心があふれている。

描くことで整う、静かな時間

創作は、自分と向き合う時間そのものだ。

「創作って、なんか自分との対話っていうか……。描いてるときに、いろんなことが整理されていくような感じはありますね。」

誰かに見せるためや評価されるためではなく、ただ“表現”という行為に向き合い続ける。その感覚が、創作の核になっている。

毒と隣り合わせの仕事だからこそ

健康を気にかける理由のひとつに、画材のリスクがある。

「やっぱり、油絵って揮発性の毒を吸ってる感じがあるんで。ちょっと……健康面やばいなって思うこともあります。実際に昔から画家は短命と言われています。」

昔の絵具には毒性の強い成分が含まれていたという。

「昔は、白色顔料に鉛が多く含まれていて、鉛中毒で亡くなられた画家も多かったそうです。鉛って一生体に残るらしくて。僕は今、チタニウムホワイトっていう比較的毒性のない白を使っていますけど。」

それでも、市販の絵具の中には毒マークがついているものもあり、完全に無毒とは言い切れないという。

「毒は発色がいいんですよね。だから無くならないんだと思います。ま、絵描きぐらいしか触らないんで、過剰に摂取することはないんですけど。」

絵の具は鉱石や岩石を砕いて作られることも多く、知らずに体内に入れば危険もある。だからこそ、創作を続けていくために、健康への配慮は欠かせない。

いつか北欧へ

かつては大学の交換留学制度を利用して海外へ行くことを考えていたが、ちょうどその時期にコロナ禍が重なり、制度自体が中止となってしまった。

「本当は行きたかったんですけど、大学にすら通えない状況だったので、留学の話も全部なくなりました」

それでも、海外への関心は今も持ち続けている。

「チャンスがあれば、北欧に行ってみたいですね。移住とかじゃなくて、短期でもいいかなと思ってます。やっぱり日本が好きなんで」

作品の色味や構成には、日本的な感覚を意識している部分も多いという。

“今なら、描ける気がする”

実は大学を卒業してから一番最初に描いた作品は途中で止まっている。

「結構大きいやつなんですけど。なんか、もう一回描ける気がしてきたっていうか。
今ならちゃんと描けるかなって思っています。
そのときは、まだ自分の表現とか個性とかわかってなかったんです」

今なら向き合える気がする。そう思えるようになったことが、今は何よりうれしいと話す。

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