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未来──平松恭輔のこれから広がる“静かな熱”のゆくえ
作品だけで生きていく──アーティストとしての現在地と輪郭
「最終的には、やっぱり自分の作品だけで生活できるようにはなりたいですよね」
現状に満足しているわけではない。創作活動は理屈に基づいていても、思い通りにいかないことも多い。
「一人きりの創作でフィードバックがある環境ではないので、これで正解なのかなと自問自答することもあります」
「創作が嫌になることも、全然ありますね」
時には葛藤も生まれる。だからこそ、展示や他の作家との交流といった外とのつながりの必要性にも触れる。
「もっと会話しないとなっていうのはありますね」
自分の中にある“アーティスト”という存在については、普段と変わりはないと自然体で語る。
「アーティストって言葉にはとっつきにくいイメージもあるけれど、自分の場合はグラデーションの延長線上にある感じ」
その姿勢には、日常と創作が切り離されていないあり方がにじむ。
日々の中で思いついたことはスケッチブックにメモし、キャンバスに描くときは完成形のビジョンに向かって一気に描き込んでいく。そんな日々の延長に、「作品だけで生きていきたい」という思いが、静かに重ねられている。
創作を止めないためのルール──3作同時進行の理由
日々の制作について“3作品を同時に描く”ことを基本としている。乾燥を待っている間に別の作品と向き合う。油絵の特性上乾燥に時間を要するため自然と身についたスタイルでもあるが、本質は『アーティストとして手を止めないこと』にある。
アーティストとして生きていくために最低月3作品を生みだすという自らに課したルールを実行している。
常に複数の作品に向き合い続けることが、自分のリズムを崩さない鍵。完成形をあらかじめ構想したうえで、ライブ感をもって描き進めていく。そのプロセスには、計画性とよりよい作品を求めるための柔軟さの両方が宿っている。
「3つ並べて描くことで、テイストが自然と近くなることは多いです」
効率のために始まったかもしれない習慣が、やがて“描き続けるための構造”となり、今では創作の柱になっている。
他者との対話がもたらすもの
アーティストとして活動する中で、他の作家やアーティストとの交流に対して慎重でありながらも、関心を持ち続けている。普段は他の作品に強く影響を受けることはなく、「あ、この作品の人いいな、くらいでしか思っていない」と語るように、あえて距離を保っている様子もうかがえる。
しかし一方で、他の表現者と意見を交わすことには強い興味がある。過去にはトリエンナーレ関連の集まりで、大学の異なる学科・ジャンルの学生たちと話し合う機会もあり、それが大きな刺激になったという。
「映像とか、演劇とか、別の角度から見たアート業界の話を聞けたのは大きかった」
その経験は、今も自身の中に印象深く残っている。
クロストークや対談といったものに前向きだ。自分とは違う視点に価値を感じ、それが自身の立ち位置を再確認する機会にもなっている。
内側から生まれるものを大切にする
近年、アートの世界ではアニメやマンガの要素を取り入れた表現が広がりを見せている。東京を中心とした現代アートの潮流のひとつとして、そうしたスタイルが注目されている。
「流行は知っているけど、僕はやりたくないと思ってるんです」
その言葉には、特定の表現を否定する意図はなく、あくまで“自分の表現はどうあるべきか”という視点からの選択が込められている。多くのアーティストが多様な方向性を持って表現を探る中で、自身の内側にある感覚や思想に耳を澄ませながら、それを静かにかたちにしていく。
「二番煎じじゃダメ」と語る背景には、誰かに倣うのではなく、自らの感覚で道を切り拓いていくことへの強い意志がある。流行を追わないというよりも、表現の起点を“外”ではなく“内”に置くという信念が、作品に一貫した独自性を与えているのだろう。
作品の中で「共に在る」という感覚
自身の作品に登場する人物を「演出」するのではなく、むしろ「共感」しながら描いていくという。あらかじめ物語をつくって登場人物を動かすのではなく、描く中で自然にその人物がどう振る舞うのかを感じ取りながら、画面を構成していくのだ。
「こうさせたい、というよりも、この人物だったらこうするんだろうな、っていう感覚の方が近いです」
制作は下描きを完成させてから進めるのではなく、キャンバスに直接描き込んでいくスタイル。場面や人物の佇まいは、描きながら少しずつ形になっていく。自身の内から湧き上がる世界を写し取るように、人物たちは画面の中で息づいていく。
描き切れなかった作品と向き合う今
実は制作が止まったままの作品もある。大学卒業後まもなく手がけた、未完の絵。自身の「世界観とは何か」「個性とは何か」といった問いに揺れながら、「大きなものを作らなければ」という焦りとともに描き始めた一枚だった。
「立体を作ったりもしていました。自分の表現が平面なのか、立体なのかも迷っていて…。でも、何を描いてもなんだかしっくりこなくて。この作品は、そのまま止まっています」
当時はまだ定まらなかった軸。しかし、今なら描ける気がする、とも平松さんは語る。
「あれから何年も経ったので。今なら、たぶん描けると思います。」
止まっていた作品に、ふたたび光を当てる時が来るかもしれない。今の自身の現在地を試す機会になるだろう。
「これを描きたかったんだ」と思えた一枚
思い入れのある作品について問うと、アトリエの玄関に飾られていた絵を挙げた。
「あれは、なんだかんだ描いていく中で、しっくりきたなって思った作品ですね。最初に、自分が今まで描いてきた中で、“あ、こういうのを描きたかったんだ”って、なんか理解したというか、その瞬間だったかもしれないですけど」
その作品に感じたのは、言葉ではうまく説明できない、けれど確かに存在する感覚だった。
「ちょっと…悲しいような、寂しいような、でもなんか美しい。そんな感じですかね」
描くことで自分自身の表現が少しずつ形を持ちはじめた。その一枚は、作品世界の方向性が見えはじめた最初の実感だった。
混ぜてつくる、少ない色から広がる風景
作品制作に使う絵の具は、ごく限られた色数に絞られている。
茶色、青、赤、黄色、白、カーマイン、黄土色──おおよそ数色を基本に、そこから必要な色を混ぜて生み出していく。
「そんなに色数は使わないです。決まった色の名前のものを混ぜながら塗っていくっていう感じですね」
特定のブランドや発色にこだわることはなく、手元にある絵の具を組み合わせながら描くという。構想の段階で特定の色を取り寄せるようなこともない。
「ブランドは関係なくて、色の名前だけで選びます。あまり意識せずに、なんとなく集まってる感じですね」
絵の具の選択はミニマルでも、その表現には幅がある。混ぜ合わせてつくられる色彩は、画面の中に登場する人物たちに共通する“空気”を与える。描かれるのは、一人ひとりの姿でありながら、場を共有しているような気配。少ない色数は、そうした“集団としての共通意識”を支える表現の一部でもある。
〈先導者〉という言葉と、目に見えないエネルギー
作品紹介やキャプションに用いられるキーワードの一つが“先導者”という言葉がある。しかしここでいう先導者というのはリーダーや神のような絶対的な存在ではなく、作品の中枢に位置するものではない。
「やっぱり目に見えないエネルギーみたいなのを描きたいんですよね」
「集団は苦手なんですけど、集団っていう“気”は面白いなと思ってるので、今はそういうエネルギーを描いてる感じですね」
エネルギーは、前向き・後ろ向きといった単純な方向性ではなく、静かに漂う“気” のようなものだ。鑑賞者に求めるリアクションも、説明のつかない感情に身を委ねるような体験だという。
「ノスタルジックというか、ちょっと寂しいような、懐かしいような──そんな気持ちになってもらえたら」
“先導者”という語は、単独のリーダー像よりも、見えない力に導かれ同調する集団の空気を指し示す呼び名に近い。作品が放つその気配こそ、可視化しようとしているテーマである。
描き続ける未来へ──静かに、でも確かに
今後について尋ねると、「絵本」や「立体作品」など、絵画だけに固執しない表現方法への関心を口にした。なかでも特に描いてみたいのは「大人向けの絵本」。毎年開催されているコンテストにも応募を検討しており、物語と絵を融合させた世界づくりに挑戦する意欲を見せている。
「絵本とかも面白そうだなって。僕は大人向けの絵本を描きたいですね」
また、視野は海外にも向いている。特に北欧圏に短期で留学し、異文化に触れる機会を持ちたいという。
「北欧系に行きたいです。短期でいいかなと思います。日本が結構好きなので」
こうした挑戦の先にあるのは、自身の作品だけで生活していくこと。アーティストとしての表現活動を、自分の中心に据え続けるための土台をつくることが、平松さんの目標だ。
「最終的にはやっぱり、自分の作品だけで生活できるようになりたいですよね」
淡々と語られるその言葉の奥にあるのは、これからも表現をし続けるという確かな決意だ。
個人として、作家として、より深く、より遠くまで──
平松恭輔の創作は、これからも静かに広がっていく。